損害保険の防災リスクエンジニアという仕事 — インシュアテックの現場から
- 損害保険各社は2024年10月以降、水災保険料を全国一律から地域別5区分の料率に改定し、リスク評価人材の需要が高まっている。
- 国土強靱化実施中期計画は2023〜2027年度の5年間で事業費約44兆円規模とされ、保険業界のリスク細分化とも接続している。
- 防災リスクエンジニアの年収は僕の体感値で600万〜900万円程度で、損保総合職と防災テックデータサイエンティストの中間に位置する。
「損保に入って15年、まさか自分がGISソフトを触る仕事をするなんて思ってもみませんでした」
数年前、損害保険会社の中堅社員としてキャリアを積んできた方の転職相談で、こう言われたことがあります。彼は本社の商品開発部門にいて、水災保険の料率改定プロジェクトに配属されたことがきっかけで、地図データと格闘する日々に変わったそうです。結論から言うと、いま損害保険業界とインシュアテック企業で「防災リスクエンジニア」という職種の採用が静かに増えています。これは損保総合職・防災テックのデータアナリスト・危機管理コンサルの、ちょうど中間に位置する新しいキャリアの選択肢になっている、というのが僕の見立てです。この記事では仕事の実態、必要スキル、失敗しやすいポイント、年収レンジまで、僕が転職相談の現場で見聞きした具体をもとに整理していきます。
0. 損害保険業界に「防災リスクエンジニア」が増えている背景
大きな転機は2024年10月でした。各損害保険会社の公表資料によれば、この時期を境に水災保険料が全国一律の料率から、水害リスクの高さに応じた地域別5区分の料率へと改定されています。これはハザードマップの精度が上がり、国と自治体が持つ水害データが整理されてきたからこそ実現した仕組みで、保険料の裏側には「どの地域がどれくらい水害に弱いか」という定量評価が必要になります。
その評価を誰がやるのか、というところで人材の需要が生まれています。加えて、内閣府の国土強靱化実施中期計画(2023〜2027年度)は5年間で事業費約44兆円規模と閣議決定されており、河川改修や排水施設の強化が全国で進んでいます。インフラ側のリスクが変わり続けるということは、保険側のリスク評価も追いかけて更新し続けなければならない、ということです。実際に僕がある損保のシステム部門の方と話した際、「水災リスクモデルを地域ごとに再構築するプロジェクトが立ち上がっていて、GISが分かる人が全然足りない」とこぼされていました。この一言が、この記事を書く直接のきっかけになっています。あわせて、地方の中小損保やインシュアテックのスタートアップからも「料率改定の第二波に備えたい」という相談が僕のところに増えており、業界全体でリスク評価人材への投資が本格化している段階だと感じています。
1. 防災リスクエンジニアの仕事とは何か
ひとことで言えば、保険数理(アクチュアリー的な発想)と、気象・地形データの分析を橋渡しする仕事です。具体的な業務としては、次のようなものが挙げられます。
- ハザードマップや過去の水害統計を使って、地域別の水災リスクモデルを構築・更新する
- 台風や豪雨のあとの保険金支払いデータを分析し、翌年度の料率改定案に反映する
- 企業向けのBCP保険や地震保険の商品設計チームに、リスク評価データを提供する
- 自治体や国土交通省が公開する河川・砂防データを取り込み、社内のリスクマップを更新する
面白いのは、この仕事が「一度作ったら終わり」の仕事ではないという点です。国土強靱化の工事が進んで堤防やダムの整備状況が変われば、その地域のリスク評価も変わります。つまり防災リスクエンジニアは、国土のハード整備の進捗を、保険という金融の言葉に翻訳し続ける仕事だと僕は理解しています。ある企業では、堤防の整備完了に合わせてリスクスコアを見直す運用サイクルを四半期ごとに回していて、担当者は「工事の進捗報告書を読むのが仕事の半分」と話していました。防災工事のニュースを他人事として読めなくなる、というのがこの職種特有の感覚だと思います。
2. 求められるスキルセット — 統計・GIS・保険知識の三本柱
採用面談に同席させていただいた経験から言うと、企業側が見ているスキルは大きく3種類に分かれます。どれか一つが強ければ足りないというわけではなく、この三本柱のバランスで評価されている印象です。
| スキル軸 | 具体的な内容 | 目安となる経験 |
|---|---|---|
| データ分析 | Python・Rでの統計処理、機械学習を使ったリスクモデル構築 | データアナリスト経験2〜3年以上 |
| GIS・地理空間データ | ArcGIS・QGISの操作、ハザードマップポータルサイトの活用 | 実務での操作経験、資格は必須ではない |
| 保険・法規知識 | 保険数理の基礎、保険業法・金融庁のガイドライン理解 | 損保での実務経験、またはアクチュアリー資格 |
僕が見てきた採用ケースでは、この三本柱を最初から全部持っている人はほとんどいません。多くの人が「データ分析は強いが保険知識は薄い」「損保経験はあるがGISは触ったことがない」というスタート地点から採用され、入社後の半年〜1年で不足分を埋めていく、というのが実際のパターンです。ここでよくある失敗は、GISやPythonのスキルだけを面接で強調しすぎて、保険業法や再保険の仕組みへの関心を示せず、選考が止まってしまうケースです。技術力は前提条件で、決め手になるのは「保険というビジネスの構造を理解しようとする姿勢」だと僕は感じています。逆に損保出身者側の失敗は、データ分析ツールを触った経験がないことを過度に不安視して応募を諦めてしまうことです。多くの企業は入社後の育成前提で募集をかけているので、実務経験の有無より学習意欲を重視している印象があります。
3. キャリアパスと転職ルート — どこから来て、どこへ行くのか
この職種に辿り着く道筋は、僕の観測範囲では大きく3つあります。1つ目は損保の総合職として営業や商品開発を経験したあと、社内異動や中途転職でリスク評価側に移るルートです。2つ目は、GISやデータ分析を専門にしていた人が、防災テック企業や保険会社の中途採用でリスクエンジニアとして加わるルートです。3つ目は、インシュアテックのスタートアップに新卒・第二新卒で入り、保険知識をあとから積み上げていくルートです。
面接で印象的だったのは、地方自治体で防災担当をしていた方が、損保系のインシュアテック企業に転職したケースです。行政側でハザードマップの整備や住民説明会を担当していた経験が、保険会社側から見ると「リスクを住民目線で説明できる人材」として高く評価されていました。もう一つ対照的だったのが、大手損保の商品開発部門から社内公募でリスクエンジニアに異動した方のケースです。保険業法や再保険の知識は最初から十分でしたが、GISツールの操作は入社後に外部研修で1から学んだそうです。行政出身の方は「説明力」で評価され、損保出身の方は「業界知識の土台」で評価された、という違いが対照的で、この職種には複数の入り口があることを僕自身この2つの事例で実感しました。
4. 年収レンジと市場評価
年収については、公的な統計が整備されていない職種なので、あくまで僕が転職相談の中で見聞きした体感値として整理します。数字を出すときは必ず「何と比べて」という比較の軸をセットで置くようにしています。
| 職種 | 年収レンジの目安(体感値) | 比較のポイント |
|---|---|---|
| 損保総合職(一般職〜中堅) | 500万〜750万円程度 | ベースとなる比較対象 |
| 防災リスクエンジニア(損保・インシュアテック) | 600万〜900万円程度 | 損保総合職よりやや高め、専門性の対価 |
| 防災テック データサイエンティスト | 600万〜850万円程度 | ほぼ同水準、業界特性(保険 vs 防災テック)で微差 |
| 危機管理コンサルタント | 550万〜900万円程度 | 役割の重さ(マネジメント有無)で幅が大きい |
この表からも分かる通り、防災リスクエンジニアは「専門性を持ったデータ人材」としての価格がつきやすく、損保の一般的な総合職より一段上のレンジになる傾向があります。ただし企業規模やポジションの重さ(マネジメントを担うか、実務専任か)によって幅が大きく出るので、あくまで目安として捉えていただければと思います。実務専任のポジションでは600万円台からのスタートが多く、リスクモデル全体の統括やチームマネジメントを担う立場になると800万〜900万円台に届くケースを僕は見てきました。
5. 転職準備として今日からできること
この職種への転職を考えたとき、僕がいつも勧めているのは「まず自分の手で触ってみる」ことです。国土交通省が公開しているハザードマップポータルサイトは誰でも無料で使えるので、自分の実家や現在の住所の水害リスクを1時間ほど調べてみるだけでも、リスク評価という仕事の輪郭がつかめます。次のステップとして、損害保険料率算出機構が公表している水災料率改定の解説資料に目を通しておくと、面接で「なぜこの職種に興味を持ったか」を具体的に語れるようになります。所要時間としては、資料の読み込みに半日、簡単なGISツール(QGISは無料)での地図作成体験に半日ほど確保できれば、履歴書や面接で説得力のある動機を作れると僕は感じています。逆にやってはいけないのは、資格取得だけを目的にしてアクチュアリーの勉強を始めてしまうことです。資格の勉強に半年〜1年をかけてしまい、実務経験のアピールが薄いまま転職市場に出てしまう、という遠回りを僕は何度か見てきました。
(結論)
損害保険業界の防災リスクエンジニアは、国土強靱化によるインフラの変化と、水災保険料の地域別料率化という2つの流れが交わったところに生まれた、比較的新しい職種です。損保総合職・防災テックのデータ人材・危機管理コンサルタントのどこからでも入り口があり、逆にどこにでも行けるキャリアだと僕は感じています。皆さんいかがでしたでしょうか。地図とデータを武器に、保険という金融の仕組みから防災に関わる道も、選択肢の一つとして持っておいて損はないと思います。では今日もがんばりましょう。
よくある質問
Q. 防災リスクエンジニアになるには保険会社での経験が必須ですか?
必須ではありません。損保出身者だけでなく、GISやデータ分析出身者、気象関連の資格を持つ人からの転職例も僕は実務の中で見てきました。ただ保険数理や規制の知識は入社後にキャッチアップが必要になるケースが多いです。
Q. アクチュアリー資格がないと厳しいですか?
資格がなくても採用されているケースは多いです。特にインシュアテック系のスタートアップでは統計・GISのスキルを優先する企業が多い印象で、アクチュアリー資格は加点要素という位置づけになっていると感じます。
Q. 年収はどれくらい見込めますか?
僕の体感値では600万〜900万円程度のレンジが多く、損保総合職の平均よりやや高め、防災テックのデータサイエンティストとほぼ同水準です。ただ企業規模や役割の重さで差が大きく出る職種だと感じています。
IT人材業界20年、ギークリー創業を経て現職。個人として通算4,200名のキャリア面談を実施してきた経験に基づき監修しています。本文中の年収・難易度等は独自ガイドの目安値であり、個人の経験・企業により変動します。