防災テックPMという仕事 — エンジニアと自治体をつなぐ翻訳者
- 防災テックPMは自身でコードを書かず、エンジニアと自治体防災課・住民の間で「何を作るべきか」を定義する翻訳役を担う。
- 年収は体感値で600万〜900万円程度、一般SaaS企業のPM(800万〜1,200万円程度)と比べるとまだ一段低めの実勢感がある。
- 求められる力は人間力・職種経験・技術スキルの三軸に分けて考えると、面談時の評価ズレが小さくなる。
「その機能、来月の消防団の定例会に持っていけますか」——ある自治体の避難所管理システム導入プロジェクトで、僕が若手PMに投げた質問です。仕様書の上では完璧な機能でも、現場の会議室で「これなら使える」と言ってもらえなければ、それはただの飾りになってしまいます。
結論から言うと、防災テック企業のプロダクトマネージャー(PM)という仕事は、エンジニアの技術力と、自治体・住民の生活実感のあいだに立って「翻訳」を続ける仕事だと僕は考えています。国土強靱化実施中期計画(2023〜2027年度、内閣官房公表)によって防災DX関連の発注・予算が増えているいま、この翻訳の役割はじわじわと市場価値を上げています。今日は、この仕事の中身と、そこに入るための現実的な道筋を、僕が現場で見てきた具体で整理してみます。
1. 防災テックPMは、何を「翻訳」しているのか
防災テックPMは自分でコードを書きません。その代わりに、エンジニアが理解できる要件定義と、自治体防災課の職員や住民説明会で使える言葉との間を、毎日往復しています。以前、僕が担当していた避難所の受付システム開発では、エンジニア側は「QRコード読み取りで名簿照合を自動化する」という仕様に落とし込みたがっていました。しかし実際に防災訓練に同行してみると、スマートフォンを持たない高齢の避難者が参加者の三割近くを占めていて、紙の名簿と併用する運用でなければ現場では機能しないことが分かりました。仕様書だけを見ていたら気づけなかったズレです。
この「現場に行かないと見えない前提の食い違い」を発見し、開発側に伝え直す作業が、PMの仕事の中で一番地味で、一番効果が大きいと僕は感じています。似たようなズレは避難情報の配信システムでも起きます。エンジニアは配信速度を最優先に設計しがちですが、実際に住民が求めているのは「何をすればいいか」が一目で分かる表示の分かりやすさだったりする。ある案件では、配信速度を0.5秒短縮する改修より、地図上の避難所アイコンを大きくする改修の方が、住民説明会でのクレーム数を減らす効果が大きいと分かり、優先順位を丸ごと入れ替えたこともあります。この翻訳を止めないことがPMの本業です。
2. PMの一日 — 朝会からベンダー調整まで
典型的な一日はおおよそ次のような流れになります。
- 9:00〜9:15 スプリント確認(エンジニアチームと進捗を共有)
- 10:00〜11:30 自治体担当者とのオンライン打ち合わせ
- 13:00〜14:00 営業・カスタマーサクセスから上がった要望の整理
- 15:00〜16:00 開発の優先順位を決める社内会議
- 17:00以降 ベンダーとの技術的な調整
単年度予算で動く自治体では、仕様変更の相談が「今年度中に検収できるか」という予算消化の話と切り離せません。僕の経験では、要望整理の場面で「自治体からの要望を全部聞く」姿勢はむしろ危険で、要望の背景にある業務課題まで一段掘り下げて、本当に解決すべき課題を絞り込む判断力が問われます。実際に、ある要望を深掘りしたところ、表面上は「新機能の追加」に見えた依頼が、実は既存機能の操作手順を職員向けに一枚の手順書に落とし込むだけで解決できるとわかったこともありました。開発工数はゼロで済み、代わりに手順書作成に半日を使っただけです。
一日の中で相手にする言語が行政言語・技術言語・生活者の言葉と三つ切り替わる感覚があり、この切り替えの速さが仕事の質を分けると感じています。午前は行政の議会日程や検収の話をし、午後は開発チームとAPIの設計を詰め、夕方はカスタマーサクセスから上がってきた住民の生の声を整理する。頭の中で三つのチャンネルを常時開いておくイメージで、この負荷に耐えられるかどうかが、この仕事の向き不向きを分ける一つの目安だと僕は見ています。
3. 求められる三つの力を分けて考える
面談の場でPM候補者の力を見るとき、僕は人間力・職種経験・技術スキルの三軸に分けて考えるようにしています。混ぜて評価すると「技術が弱いから不採用」といった短絡的な判断になりやすいからです。人間力は、行政職員や住民という異なる立場の人の話を、感情的にならず聞き切れるかどうか。職種経験は、単年度予算・議会日程・条例改正といった自治体特有の意思決定サイクルを実務で踏んだ経験があるかどうか。技術スキルは、要件定義書やAPI連携の仕組みを専門用語なしで説明できる基礎理解があるかどうかです。
エンジニア出身でなくても、行政向け営業やカスタマーサクセス出身者がこの三軸のうち二軸を強く持っていれば、十分に活躍できるポジションだと僕は見ています。実際に僕が採用に関わった案件でも、技術スキルが三軸の中で最も後回しにできる軸だという印象を強く持っています。逆に、技術スキルだけが際立って人間力が弱い候補者は、自治体側との初回面談で「話が噛み合わない」という評価を受けやすく、選考の後半で落ちる確率が僕の見てきた範囲では高い傾向にあります。三軸のうちどれを面談で最初に確認するかと聞かれれば、僕は迷わず人間力から見ます。翻訳者としての土台がそこにあるからです。
4. 年収の実勢感 — SaaS業界PMとの比較
僕の体感値で言うと、防災テック企業のPM年収レンジは600万〜900万円程度です。一般的なSaaS企業のPM年収レンジ(800万〜1,200万円程度)と比べると、まだ一段低めの実勢感があります。この差は個人の実力差ではなく、業界全体の企業規模・資金調達額の差が主な背景だと考えています。防災テック領域はSaaS業界全体と比べてまだ資金調達の総額が小さく、上場企業の数も限られているため、PMのポジション数そのものが少ない。一方で、行政向けPM経験者を採用したい企業側の声は増えていて、レンジの上限を引き上げる動きも僕の周りでは見られます。
企業規模別に見ると、スタートアップでは裁量が大きい分レンジの幅も広く600万〜800万円程度、重工系・大手SI子会社では既存の等級制度に乗る分700万〜900万円程度で安定する、という体感の差もあります。ここで注意したいのは、この数字はいずれも「防災テック企業に在籍するPMの基本給+賞与の目安」であって、ストックオプションや業績連動報酬を含まない値だという点です。スタートアップの場合、レンジは低めでもストックオプションが乗ることで実質的な期待値が変わるケースがあります。単純に「防災テックは給与が低い業界」と捉えるより、「まだ市場が若く、経験者が少ないぶん交渉余地がある業界」と捉えた方が実態に近いと感じています。
5. よくある失敗とその対処 — パターン比較
防災テックPMへの転職でよく見る失敗は二つのタイプに分かれます。整理すると次のようになります。
| 失敗のタイプ | 具体的な症状 | 対処の方向 |
|---|---|---|
| スピード優先型 | SaaS流の開発サイクルを持ち込み、自治体の検収体制が追いつかず信頼を落とす | 最初の三ヶ月は現行の意思決定サイクルを一つ最後まで見届ける |
| 傾聴過多型 | 現場の要望を全部拾おうとして機能が肥大化し、リリースが遅れる | 要望の背景課題を一段掘り下げ、解決すべき課題を絞り込む |
ある転職者は、入社半年でリリースサイクルを二週に一度に縮めようとしましたが、自治体側の検収体制が追いつかず、結果的に信頼を落としてしまいました。逆に、行政職員出身者が「現場の事情」を優先しすぎて、要望を全部拾おうとして機能が肥大化し、リリースが半年遅れた事例も見てきました。前者はSaaS出身者に、後者は行政出身者に起きやすいという、出自ごとの偏りがあるのが面白いところです。
対処法として僕が勧めているのは、入社後最初の三ヶ月は「聞くこと」に専念し、自分の前職の当たり前を仮説として持ちながらも、実際の意思決定サイクルを一つの現場で最後まで見届けてから提案を始めることです。具体的には、担当する自治体の予算編成から検収までの一巡を、カレンダーに落として観察する。この三ヶ月をどう過ごすかで、その後の信頼構築の速度が大きく変わると感じています。焦って初月から改善提案を連発する人ほど、半年後に手戻りで苦労している印象があります。
6. 転職の実務手順 — 自治体職員からPMへ
僕が支援したケースの一つに、中核市の防災危機管理課で6年間、避難所運営計画の策定を担当していた方がいます。転職活動の最初の面談では「技術スキルが不足している」と自己評価を下げていましたが、実際に話を聞くと、避難所運営計画の年次改訂を毎年こなしてきた経験は、まさに職種経験の軸で高く評価されるものでした。
この方の準備手順を、所要時間の目安つきで整理すると次のようになります。まず職務経歴の棚卸し(約1週間)——避難所運営計画の改訂で「誰と、どんな意思決定を、どの期限で」回してきたかを、システム開発の要件定義と対応づける言葉に翻訳する。次に技術用語の基礎学習(約1ヶ月)——要件定義・API・スプリントといった頻出語を、自分の言葉で説明できるレベルまで持っていく。最後に模擬面談(2〜3回)——行政の言葉に頼りすぎず、開発側にどう伝えるかを声に出して練習する。
入社後の最初の三ヶ月は、既存プロダクトの操作を覚えながら、開発チームの朝会にひたすら参加し、技術用語を一つずつメモして自分の言葉に置き換える作業を続けたそうです。半年が経った頃には、自治体担当者との打ち合わせで「行政の言葉と開発の言葉、両方が分かる人が来た」と評価され、案件の主担当を任されるようになりました。この方の場合、技術スキルは入社後の半年で最低限のレベルまで追いついたのに対し、行政側の意思決定の癖を知っているという職種経験の強みは、最初から一貫して評価され続けていた点が印象的でした。
(結論)
防災テックPMは、エンジニアでも行政職員でもない、間に立つ仕事です。技術も行政の作法も完璧である必要はなく、両方の言葉を粘り強く翻訳し続ける姿勢の方が、実務では価値を持つと僕は考えています。国土強靱化の予算が動いている今のタイミングは、SaaS業界のPM経験者にとっても、自治体職員にとっても、この役割に挑戦する好機だと感じています。皆さんいかがでしたでしょうか。防災テックPMという選択肢を、ぜひ一度検討してみてください。では今日もがんばりましょう。
よくある質問
Q. 防災テックPMになるにはエンジニア経験が必須ですか?
必須ではありません。要件定義書やAPI連携の仕組みを専門用語なしで説明できる程度の基礎理解があれば十分で、実際にはSE・ITコンサル出身者だけでなく、行政向け営業やカスタマーサクセス出身のPMも多く活躍しています。技術スキルは人間力・職種経験・技術スキルという三軸のうち一つに過ぎず、他の二軸で補うキャリアパスが現実的です。
Q. 防災テックPMの年収はSaaS業界のPMと比べて低いのでしょうか?
僕の体感値では、防災テック企業のPM年収レンジは600万〜900万円程度で、一般的なSaaS企業のPM(800万〜1,200万円程度)と比べるとまだ一段低めの実勢感があります。背景には個人差ではなく業界全体の企業規模・資金調達額の差がありますが、行政向けPM経験者を欲しいという採用側の声が増え、レンジ上限を引き上げる動きも見られます。
Q. 自治体職員から防災テック企業のPMへ転職するのは現実的ですか?
現実的だと考えています。単年度予算や議会日程、条例改正といった自治体特有の意思決定サイクルの理解は、防災テックPMに求められる職種経験の軸そのものです。技術スキルは入社後に学べる部分が大きく、行政側の意思決定の癖を知っていることは、面談でも明確な強みとして評価される傾向にあります。
IT人材業界20年、ギークリー創業を経て現職。個人として通算4,200名のキャリア面談を実施してきた経験に基づき監修しています。本文中の年収・難易度等は独自ガイドの目安値であり、個人の経験・企業により変動します。